「南大塚の餅つき踊り」解説

埼玉県指定文化財 「南大塚の餅つき踊り」

南大塚餅つき踊り保存会
南大塚自治会

1. 由来
餅つき踊りというのは、その名のとおり1つの臼を数人で囲み、踊りながら餅をつく芸能です。
かつては北足立から入間地方にかけての米作地帯に広く行われたものですが、現在では大宮市上加・桶川市上日出谷・東松山市金谷とここ川越市南大塚などに伝わっているに過ぎません。
南大塚の餅つき踊りは、幕末の安政年間に始まったといわれ、以後大正時代までは子どもの「帯解きの祝い」に行われてきました。長男・長女の7歳の祝いに、その家では「餅つき連中」に持ちつき踊りを頼みます。持ちつき踊りは、頼まれた家の庭で餅をつきながら踊り「引き擦り餅」といって臼を引き摺り途中でも餅をつきながら、鎮守の菅原神社に参詣したものです。しかし当時はどの家でも「帯解き」を祝えたわけではなく、ましてや持ちつき踊りを依頼するようなことは、「お大尽」と呼ばれるような裕福な家でしかできないことでした。 大正末期から第二次世界大戦頃にかけては中断してしまいましたが、戦後再開され、その後は南大塚全体の祭りとして実施するようになりました。
現在では、餅をつく場所が個人の家から西福寺境内に代わりましたが、引き摺り餅の行事は西福寺から菅原神社まで地域の子どもたちに引き摺られながら餅をつき、昔ながらに受け継がれています。

2. 内容
餅つき踊りでは、ナラシ・テコ・ネリ・ツブシ・6テコ・3テコ・アゲヅキという六つの所作が連続して行われます。臼の中に蒸しあがったモチ米が入ると、大杵を手にした6人が持ちをならし(ナラシ)、続いて6人で「押っせ押っせ」の掛け声で練り(ネリ)、さらに6人が唄に合わせていっせいに杵を振る(ツブシ)。6テコ・3テコはつきての数を示すもので、6テコは2人ないし3人ずつ組になって交互につくもの、3テコは3人による曲つきです。この曲つきには杵ワタシ・餅カッキリ・ケコミなどの種類があり、小杵を手に歌に合わせた餅つきです。最後は3人が並んでつくアゲヅキで締めくくります。ついた餅は見物客に振る舞います。


「餅つき踊り」歌詞

1) ナラシの歌
めでためでたが3つ重なれば 庭にゃ鶴亀 五葉の松
うちのかみさんいつきてみても 銭のたすきで金はかる
おかみさんといわれる方が 裏の木小屋でそだ枕
親の前でもご遠慮なしに いれてもちゃげるはね釣瓶

2) ネリの歌…ならしにも使う
押せナァー 押せ押せ下関までも 餅はナー なれたがコネドリや
どこだ コネドリや勝手の方でつまみぐい
本町2丁目の糸屋さんの娘 姉が21 妹が20 姉にゃ少しの望みもないが
妹ほしさにごりょう願かけて お伊勢7度 熊野へ3度
芝の愛宕山へ やれさ月参り それでナァーヨー それでごりょ願かなわなければ
村の鎮守さまへ朝参り それでもナァーそれでごりょ願かなわなければ
神もナァー 神も仏もなんで仏もあるものか

3) ツブシの歌
娘島田にちょうちょがとまる とまるはずじゃよ 花だもの
私しゃコネドリ私やつき手です 共におけがのないように

4) 3テコの歌
お江戸じゃ日本橋 神奈川 川崎 戸塚 保土ヶ谷 馬入 平塚 大磯 小田原 箱根を越えて
中でもとりわけ小夜の中山 夜鳴き石がナァー 名所でござるよ17・8なる
うすらっ毛のぱらりと生えたる姉ちゃんたちがよ 今のはやりのおおこちしぼりの前掛け
たすきで小松の木陰で 飴でもせるよに せらずばなるまい 売らずばなりますまい

出典:南大塚餅つき踊り保存会配布資料